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2007年 11月 29日
どうやら「死ね」って言葉がとても多く聞かれるようになった気がする。
小学生や中学生が発してるのかと思いきや、 いっぱしの大人(分類上でのね)もそんな言葉を口にするのだとか。 これはもう、さもしいことだね。 死ね、なんて本当に消えてしまうその先を、 その痛みを、広がっていく悲しみを知っていたら言えるはずがないのに。 人の気持ちやその先を知ることが出来ずに発言してしまうのは子供。 子供は経験が少ないからつい口にしてしまうこともあるだろう。 だからそれを咎めるのが大人なのだ。 大人が本を読んだり勉強したりを怠ってしまったせいで、 こんな歪みが生まれているのではないだろうか。 わたしは勉強ができる子ではなかった。 熱が出てしばらく休んだら、割り算が進みすぎていて 算数についていかれなくなってしまった。 体が小さいからかけっこでもビリ。 兄弟が4人いて、大人しい性格だったせいと 積極的に取り組む姿勢が足らなかったせいで 母親に放任されてしまって、勉強も体育もすすむことがなかった。 でも、空いた時間にせっせと本を読んでいた。 幼稚園にあがる頃にはジャックと豆の木、くるみ割り人形が愛読書で 小学校の終わりに江戸川乱歩と赤川次郎を制覇した。 中学校では純文学、高校ではノンフィクション。 図書カードが何枚にもホチキス止めされることが勲章だったのだ。 同じ頃、美術にも傾倒し、 勉強がさほど出来なかったわたしは、その分芸術を謳歌していた。 勉強も文化や芸術も、知る・学ぶという姿勢は人を成長させる。 人と競り合いながら挫折を知ること、 物語やアートの中から創造力を醸し出すこと、 それらは一長一短でなされることではないし、 でありながら人には必要なことであるはずだ。 基、と書く。 基礎、基本、基準、などなど。 土台があるから立派な家が出来るように、 勉強や感性の基礎がなければ立派な人間を築くことは出来ないだろう。 だからなにもわたしが立派な人間だというわけではない。 むしろ足りないし、人当たりが悪くてどうしようもない人間だ。 でも、いくらか「マシ」な人間になりたいといつも思っている。 今軽々しく「死ね」と口にする子供やそれを容認する大人社会は、 戦争に近い感じがしてなんだか怖いよ。 戦争は「死ね」が暴力という形になったものだ。 弱いものばかりが先に消えていく。 戦争を知らない我々が、その想像力を失ってしまったらどうなるだろう? 猫がまあるくなって日溜まりにいること。 子供達が連なって道路を歩いていくこと。 微笑みを浮かべながら「元気?」と電話をかけられる毎日。 そういう当然があるのは、今が平和だからなんだ。
by kako-dailylife
| 2007-11-29 11:39
| 長めの日記
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